Vol.23

万葉の息吹を伝える藤木川、その清流の特等席へ

NOT A HOTEL ARCHITECTS 植地剛 越智誠

古くから名湯の地として知られ、万葉集にも詠まれた歴史ある温泉地、湯河原。東京から車で2時間以内のアクセスながら、駅から山の奥地へ進むと、都会の喧騒から隔絶された静寂が広がる。その緑豊かな渓谷沿いで現在計画が進められているのが「NOT A HOTEL YUGAWARA ONSEN SUITE」だ。奥湯河原の情景に没入する湯の時間をテーマに、建物内には趣の異なる温泉やプールが緻密に織り込まれた4つのタイプの客室とオーナー専用のレストランが用意され、自然の中に溶け込むように設計が進められている。設計監理を手掛ける建築チーム「NOT A HOTEL ARCHITECTS」の植地剛氏と越智誠氏の二人に、この土地が紡ぐ物語と空間にこめた意図について話を聞いた。

保存すべき美しい風景へ、全ての客室を開く

敷地に一歩足を踏み入れた瞬間に目を奪われるのは、目の前を流れる藤木川の清流と、対岸に生い茂る樹々。文字通り、四季折々の自然を肌で感じられる稀有なロケーションだ。このピュアな自然のダイナミズムを、いかにして建築へと落とし込んでいくのか。 「奥湯河原はゆったりとした趣と、静寂を備えたエリアです。今回の計画地はかつて多くの人々に親しまれた、渓流沿いの歴史ある温泉旅館が建っていた場所であり、私たちはその土地の歴史と湯治文化の記憶を正しく継承したいと考えました。周辺の自然環境に与える影響を極小化するため、元々の旅館の建ち方に新しい建物の外形を重ねるように配置しています。建築において最も重視したのは、藤木川の流れと対岸の樹々という『守るべき美しい風景』に対して、すべての客室の開口を向けることでした。オーナーが自然の中に没入できるよう、景色を美しく切り取る設計を徹底しています」(植地氏)

1棟の中に趣の異なる客室が美しくレイアウトされたこの建築には、奥湯河原を訪れる人の過ごし方に合わせた多様な選択肢を展開。敷地の高低差を活かし、建物のボリュームを川の形状に沿わせることで、より自然の懐へと深く入り込み、生い茂る木々や川のせせらぎをすぐ身近に感じられる建築を構築している。自然の中に心地よく埋もれるような「地続きの距離感」が、空間の大きな魅力だ。 「新緑や紅葉など、湯河原の四季折々の自然を楽しむため、リビングダイニングは意図的に明度・彩度を落とした空間にしています。トーンを落とすことで、室内から外を見渡した時に、窓の外の自然がより明るく鮮やかに見えるような仕掛けです。リビングから外を眺めると、対岸の自然の美しさがプールの水面に鮮やかに映り込み、建築と自然の境界線が心地よくぼやけていくような滞在体験を愉しんでいただけます」(越智氏)

五感を段階的に研ぎ澄ます、空間のシークエンス

奥湯河原の魅力は、視覚的な美しさだけにとどまらない。滞在中のゲストの身体感覚を呼び覚ますべく、建築の内部には、敷地と川の形状に沿うようにドラマチックな動線(シークエンス)が計画されている。玄関から一歩ずつ客室の奥へと進むにつれ、川や森との距離感が変化していく。一歩進むごとに自らの身体が川へと下っていくような感覚により、五感が段階的に研ぎ澄まされていく。 また、今回の計画では象徴的な一枚の日本瓦葺きの屋根を架け、風土に根ざした静謐な佇まいを目指している。客室のバリエーションについても、最上階から渓谷を遮るものなく見渡す『PENTHOUSE』、渓流のせせらぎを最も身近に感じるフラットな平屋仕様の『RIVER』『POOL』、そして吹き抜けの温泉にサウナや水風呂が直結するメゾネット『FRAME』が用意され、それぞれに固有の和の意匠が施されている。

「私たちが表現したかったのは、空と水面、そして奥湯河原の山並みが一体となる圧倒的な開放感です。最上階に位置する『PENTHOUSE』は、他のNOT A HOTELでも類を見ない、ダイナミックなプールとテラスを配した、最も広大な客室です。メイン空間には屋根の形状を活かした掛込天井(屋根の傾斜をそのまま室内へ活かした開放的な天井)を採用し、丸太の垂木や梁を用いた数寄屋の手法によって静謐さと格調高さを演出しています。 一方『RIVER』と『POOL』では、伝統的な天井意匠である竿縁天井(等間隔に渡した木造の竿で天井板を支える天井)を連続して通すことで、室内外の上質な一体感を創出しました。また、『FRAME』には、約6.7メートルの吹き抜けを備えた大空間の露天風呂を設けました。火山活動によって育まれた自然の恵みである温泉を、神聖な行為として受け取っていただけるダイナミックな設えとしています」(越智氏)

水面のリフレクションと、数寄屋が創る陰影美

温泉に身を浸して身体を清めるという行為は、古来より俗世間から少し離れて自然の恵みを受け取る、極めて贅沢で神聖な行為であった。今回のプロジェクトが目指す「奥湯河原の情景に没入する、湯の時間」を成立させるため、建築家たちは視界に入るノイズを極限まで排除し、室内からの眺望を徹底的に追求している。 「プールがない客室においては、落下防止用の手すりが露天風呂からの視線に干渉してしまう課題がありました。そのノイズを極力なくすため、テラスの先端を階段状に下げる断面的な工夫を施しています。これにより、湯船に浸かったときに手すりの存在を消し去り、目前に広がる景色を心ゆくまで堪能できる空間を実現しました。また、すべての客室に備えた露天風呂や、プールの水面を生かし、反射した光が天井に揺らぐことで、室内にいながら川の流れと呼応し合うような、採光と演出のコンセプトを両立させています」(越智氏)

空間を構成するテクスチャーや内装の素材選びにおいても、奥湯河原という土地の文脈が細やかに編み込まれている。 「非常に石と縁が深い湯河原という土地の特性に着想を得て、客室の主要な部屋の床はすべて上質な石貼り仕上げとしました。一方で、ベッドルームの床には、素足で触れたときの温かみを大切にするため、木材の表面に凹凸をつける『ハンドスクレイプ加工』を施す予定です。この加工による微細な凹凸は、時間ごとに移り変わる光を受けることで繊細な陰影を生み出し、空間に豊かな深みをもたらしてくれます。 また、川側の開放的な景色とは対照的に、ダイニングの北側には侘び寂びを感じさせる穏やかな中庭を計画しています。南側の渓流から差し込むダイナミックな反射光と、北側の中庭がもたらす柔らかな光、両方の陰影が室内で行き来することで、空間体験がとても立体的なものになります。さらに外観の構成においても、外壁の焼杉やタイル、屋根の瓦や鋼板は黒を基調としたトーンに抑え、建築はいわば黒子の存在に徹しています。周囲の豊かな自然と対立するのではなく、引き立て、寄り添うような建築を目指しました」(越智氏)

我が家のように寛ぎ、素の自分へと立ち返る

独立したヴィラタイプで、自然と対峙するような広大なスケールを愉しむ『YUAMI』に対し、『ONSEN SUITE』が目指したのは、一つの大きな邸宅に集い、暮らすような温かみのある滞在だ。 「館内には仕切りを極力なくした動線が計画され、プライベートな客室から、オーナー専用のレストランへとシームレスに繋がります。一般的なホテルと最も異なるのは、ここがオーナーにとって『自分の家のようにくつろげる場所』であるという点です。その土地ならではの意匠を取り入れつつ、どの拠点にも共通したスペックを用いることで、部屋のドアを開けた瞬間から、まるで我が家に帰ってきたかのような安心感に包まれる。同じ建物内にはオーナー専用のレストランが併設され、木材と打放しコンクリートを組み合わせたモダンな空間で、炭火焼きやおでんを中心とした和食を楽しんでいただけます。自宅にいるようにくつろぎながら、上質な滞在をぜひ満喫していただきたいですね」(植地氏)

「室内は木材や石の抑制されたトーンによって日々のノイズを消し去る設計にしていますので、ただそこに身を置くだけで、自然と心身が調律されていくような感覚を味わっていただけるはずです。普段第一線で活躍し、忙しい日々を送っている方々が、ここを訪れて素の自分になり、奥湯河原の純粋な自然に触れる。渓流の音に耳を澄まし、刻々と変わる天井の光のゆらぎをぼんやりと眺める。そんな瞑想的な滞在を通じて、日常の喧騒で疲弊した心身を深く整え、日常へと戻っていく。オーナーの皆様にとって、ここが人生の寄り所となることを願っています」(越智氏)

NOT A HOTEL ARCHITECTS

NOT A HOTEL ARCHITECTS

NOT A HOTEL ARCHITECTSは、建築を中心に、暮らしのあり方そのものを再構築するデザインユニット。 土地の歴史や文化に敬意を払いながら、新たなものづくりや、常識を超えた体験を創出する。

過去作品

NOT A HOTEL OFFICE

NOT A HOTEL KITAKARUIZAWA IRORI

NOT A HOTEL MIURA(進行中)

NOT A HOTEL KITAKARUIZAWA IRORI2.0

STAFF

TEXT: Yuji Kuramochi

PHOTO: Yu Tabata (NewColor inc.)

NOT A HOTELをつくる人