Vol.19
北海道・ルスツリゾートのスキー場山頂。羊蹄山と対峙する唯一無二の場所で、 「NOT A HOTEL RUSUTSU」は、静けさに包まれるひとりの時間にも、仲間と集うにぎやかな時間にも寄り添い、滞在するだけで心・身体・精神のバランスが整う体験を提案する。設計を手掛けたのは、ノルウェーで1989年に設立し、現在8つの国と地域に拠点を構える建築設計事務所・Snøhetta(スノヘッタ)。世界各地でプロジェクトを手掛ける彼らが目指したのは、この場所に根差し、四季の移ろいや風景の変化と呼応する空間。そして、自然と建築、人の営みが溶け合い、“天頂(Zenith)”に達するような建築だった。
「建築を土地に押し付けるのではなく、風景の一部として立ち上げたかった」と話すのは、スノヘッタの主要メンバーであり、本プロジェクトを統括するデザイナーのリチャード・ウッド氏。建物は羊蹄山を正面に望む三角形の敷地に沿って配置され、季節や時間帯ごとに異なる表情を見せながら、ゲストに自然とのつながりを感じさせる。 「私たちはまず、設計を始める前に何度も敷地に足を運びました。異なる季節や天候の中で、羊蹄山との関係性や風の流れ、太陽の動きなどを体で感じ、この土地が自然に語りかけてくる声に耳を澄ますことが出発点でした。そうして得た感覚をもとに描いた建築は、冬には寒さや雪から身を守る温かなシェルターとなり、夏には山の空気をたっぷりと取り込む開かれた空間へと姿を 変えます。外観も雪に覆われたり、地形と調和する輪郭をくっきりと見せたり、季節に応じてさまざまに移ろうでしょう。こうした柔軟性こそ、私たちの設計アプローチの中核にあるのです」
Snøhettaの設計チームが敷地を訪れた時の様子。
スノヘッタは、“巡礼”という思想と実践を長年にわたり大切にしてきた。2年に一度、事務所名の由来でもあるノルウェーのスノヘッタ山に世界中のメンバーが集い、山を登る。それは単なる登山ではなく、自然や仲間と改めてつながり、自らの仕事の本質に立ち返る儀式のような時間だ。 その精神は、今回のプロジェクトにも静かに息づいている。スキーリゾートの麓から「NOT A HOTEL RUSUTSU」に向かう道のりは、この場所の魅力を深く感じ取るためのプロセスそのもの。街を離れ、標高が上がるにつれて人工物の気配が少しずつ薄れ、風の音や木々の揺らぎといった自然のリズムが五感を包み込んでいく。そして、大きな空と静寂に抱かれた山頂にたどり着くと、周囲の風景と調和する伸びやかな建築が姿を現す。こうした“巡礼”に通じる道のりの体験は、訪れる人の記憶に深く刻まれるだろう。そしてその体験は、建築内部で織りなされる空間のシークエンスによって、さらに深められる。
例えば、エントランスから続く廊下はあえて視線を絞り、足元に開口部を設けることで、意識を下へと導く設計に。その先のリビングで一気に視界が開けると、シンボリックな暖炉と力強くそびえる羊蹄山の風景が印象的に飛び込んでくる。断面的な変化を持たせた構成によって、歩くたびにさまざまな感情を呼び起こし、風景の解像度が徐々に高まっていくような場所なのだ。
「RUSUTSU」は、ひとりの時間と誰かと過ごす時間、そのどちらもを心地良く支える住まいだ。さまざまな過ごし方が自然に混ざり合い、自由に選択しながら滞在が形づくられていく。 「ここでは、誰にも邪魔されずにただ雪が降るのをひとりで眺めることもでき、暖炉を囲んで夜遅くまで友人たちと語り合うこともできる。自宅や別荘といった住空間において、どちらも同じように大切で、意味のある体験なんです」とリチャード氏。空間にはそれぞれ明確な役割と意味が与えられ、心・身体・精神のバランスを整えるように構成されている。 ・ Mind (心) :リビング、ダイニング、書斎は、考えを巡らせたり、誰かと語り合ったりするための場所。知的な刺激や人とのつながりを育む。 ・ Body (身体) :ジムやサウナ、温泉は、体を動かし、整える場所。日常から離れ、自身のリズムを取り戻す。 ・ Spirit (精神) :地形に沿って配置されたベッドルームは、静けさに包まれた休息の場所。深い眠りと自分と向き合う時間を促す。 健やかさへ配慮した建築の背景にあるのは、エレメンタルな設計思想。スノヘッタは設計当初から、環境がもたらす温度、光、音といった“生の感覚”に真摯に向き合い、火、水、石、熱さ、冷たさといった原初的な要素を、いかにして空間に活かすかを考えてきた。結果として、それぞれの要素を素材や構成に取り込み、心・身体・感覚といったテーマで空間を整理することにつながったのだ。
この思想は、2つの直方体のボリューム(バー)で構成された建築の形状にも表れている。一つは山の中に埋め込まれるように配置され、風景の中に溶け込む没入感を演出。スパなどが入るこのバーでは、まるで山の内部に入っていくような感覚が得られるよう計画されている。もう一つは地面から浮かぶように空中に持ち上げられ、彫刻的なフォルムが空や風とのつながりを感じさせる。このバーの両端には、リビングとベッドルームを設けており、部屋によって空間や自然の感じ方が大きく変わるプランニングだ。異なる性格を持つ2つのバーが交差することで、心・身体・精神のテーマが建築全体でゆるやかに重なり合い、“内に向かう時間”と“他者と交流する時間”の両方を受け止める場が生まれている。
建築と自然との連続性を支えているのが、素材の選び方とその使い方だ。大開口や半屋外の空間、石や木といった自然素材が、自然を体験の一部として取り込み、風景との連続性を高める。 石、木、金属、ガラスといったメインマテリアルは、触れたときの質感や見た目の美しさだけでなく、時間の経過とともに変化していくことを前提に選ばれた。風や雨にさらされながら、ゆっくりと風合いを深めていく姿はまさに山のよう。重ねられた時間の記憶が、素材に刻まれ、建築も成熟していく。 大きなガラスの開口部は、移ろう風景を生きた絵画のように切り取り、内と外の境界を曖昧に。露天風呂や外気浴のスペースでは、建築に守られながらも自然に包まれるような感覚が生まれ、整えられた環境と野生の間にある絶妙なバランスが、この場所ならではの体験と価値をつくり出す。
プロジェクトの根底にあるのは、“天頂=zenith”という概念。天文学で、 「ある地点の真上にある最高点」を意味するこの言葉に、敷地の標高といった物理的な高さだけでなく、人の意識や感覚を引き上げるという思想を重ねた。 「この建築の中心にあるのは、暖炉を囲むリビングです。スパのある地下と上階。つまり、地に根差した空間と、空に開かれた空間。それらが交差する空間の軸に立つことで、ある種の“天頂”を感じることができるんです」
天頂は、視界が開かれ、意識が澄みわたり、人と人、人と自然が深くつながるための余白とも言える。スキーラウンジから未踏のコースへと滑り出したり、緑のなかを深呼吸しながら歩いたり、朝陽とともに目覚めたり─ここは何気ない一瞬一瞬も意味のあるものに昇華する装置のような場所であり、あらゆるディテールが「今、ここにいる」という感覚を支えている。 「NOT A HOTEL RUSUTSU」は、単なる建築ではない。自然と建築、人と空間、静と動をつなぐ存在だ。頂きであり、聖域であり、もうひとつの帰る家。解釈も過ごし方も全てがゲストに委ねられたこの場所で、あなたはどんな時間を過ごすだろうか。
Snøhetta
スノヘッタは、建築、ランドスケープ、インテリア、アート、プロダクト、グラフィック、デジタルデザインなど、複数の専門分野を横断して手がけるデザインチーム。1987年に国連のブルントラント委員会から発表された持続可能性に関する報告書に影響を受け、89年にノルウェーで設立された当初から、環境と文化に配慮したアプローチを基本理念としている。 初めて手がけた大規模プロジェクトは、設立と同年に設計コンペで最優秀賞を受賞した、エジプト・アレクサンドリアの「アレクサンドリア図書館」。古代図書館を現代に蘇らせる国際プロジェクトとして、大きな注目を集めた。その後、オスロの「ノルウェー国立オペラ・バレエ」やニューヨークの「9.11メモリアル博物館パビリオン」など、世界中で様々な規模のプロジェクトに取り組んできた。 現在は、オスロ、ニューヨーク、インスブルック、パリ、アデレード、メルボルン、香港、深センの8都市に拠点を構え、40カ国以上から集まった320名以上のスタッフが在籍している。
Shibuya Upper West Project
Viewpoint Snøhetta
Norwegian National Opera and Ballet
Bibliotheca Alexandrina
Text: NOT A HOTEL
Photo: Yuka Ito(NewColor inc.)