Vol.16
NIGO®︎
「NOT A HOTEL TOKYO」のディテールには、NIGO®の趣味嗜好だけではなく、辿ってきたキャリアや触れてきたカルチャーそのものが反映されている。建築やインテリアとの出会い、これまでにつくってきた店舗やオフィス、そして自宅へのこだわり。彼が「僕の世界がここにある」と表現する、究極の空間が誕生するに至ったインスピレーションにまつわるインタビュー。
NIGO®が青春時代を過ごした母校・文化服装学院で2022年に開催されたヴィンテージコレクション展のタイトルは「未来は過去にある“THE FUTURE IS IN THE PAST”」。彼の斬新で唯一無二のクリエイションは常に、過去に触れてきた偉大なデザインやクリエイターへのリスペクトから生まれてきた。 「ファッションや音楽に没頭していた10代を経て、24歳の頃に家具に興味を持つようになりました。狭い部屋から引っ越したタイミングで、ちょうど世界的なイームズブームが訪れて、色々集めましたね。しばらくしたら、来日していたビースティ・ボーイズのマイク・Dから「ジャン・プルーヴェも良いよ」と言われて。そこから色々リサーチするようになって、パリのパトリック・セガンのギャラリーを訪ねたり、ニューヨークで買い付けたり。プルーヴェの家具は丈夫だし、普段使いできるところが性に合っています。「NOT A HOTEL TOKYO」のリビングの特注テーブルはプルーヴェの椅子に合わせることを前提に考えてつくりました。彼が手がけたドアも設置する予定です」(NIGO®) そうしてインテリアに触れた経験は、自ずと建築や空間づくりへの興味と結び付いていった。 「1996年から店舗の内装を片山正通さんとやるなど、インテリアや内装だけでなく建築も元々好きで興味を持っていました。本格的にのめり込んだきっかけは、2000年に自宅を建てたことです。空間は、箱としてシンプルなほうが好きですね。コンクリートとか、真っ白とか、中に置いたものが引き立つ内装。面白いのは、片山さんと一緒にやっても、他の建築家とやっても『NIGO®っぽい』って言われます。自分では何かわからないのですが……。ファッションも同じです。〈KENZO〉で初めてショーをやった時も、『NIGO®っぽいコレクションだ』って言われて。“NIGO®っぽさ”って一体なんなのだろうと、僕自身はそう思うのですが(笑)」
今や東京のストリートカルチャーにおける伝説でもある〈NOWHERE〉、〈A BATHING APE®〉を2011年に売却し決別。同年、新たに〈HUMAN MADE〉を立ち上げ、21年から〈KENZO〉のアーティスティック・ディレクターも務める。そしてファレル・ウィリアムズをはじめとした幅広い交友関係から生まれた様々なコラボレーションの数々……。NIGO®が手がけるものを、NIGO®作品たらしめるものとは何か。 「全部はフィックスさせたくないな、という意識は共通しているかもしれません。スーツを着て、足元はスニーカーを履いています、みたいな。崩しというのかな。それは結構考えていて、自宅などの空間づくりでも意識しています。98%くらいの完成度にしておいて、残り2%に遊び心を持たせています」 「2%の遊び心」。その言葉を聞くと、ゲストルームに配されたカプセルなど「NOT A HOTEL TOKYO」の要素一つひとつが違った見え方をしてくる。 「数年前に海辺の家を建てた時に、ゲストルームにカプセルを使うというアイデアを思いつきました。客人をもてなす空間は必要だけど、家の中であまり大きくはしたくなかった。遊びに来てくれた人は『よく考えたな』って言ってくれますね。『NOT A HOTEL TOKYO』では、それを更にアップデートしました。建築プランを考えているときにちょうどスター・ウォーズのドラマシリーズ『キャシアン・アンドー』を観ていて、その中で床に電流が流れるカプセルのような刑務所が登場するのですが、あのシーンがとても印象的で。どこか無機質な雰囲気はその影響ですね」
NIGO®個人でもコレクションを続けてきたKAWSの作品群。東京湾を臨む断崖絶壁に屹立するKAWSの像は、ロケーションとも相まって、「NOT A HOTEL TOKYO」を一層ユニークな建築にしている。 「ブライアン(KAWS)にはこれまで、たくさんオーダーして、いろいろなものをつくってもらい、飾ってきました。それがさらに進化して、今回は彼の象徴的なスタチューが断崖絶壁に置かれることになります。僕らの関係性もブライアン自身も進化しているので、とても気に入っている取り組みの一つです。僕は海が好きで、『NOT A HOTEL TOKYO』のシチュエーションは特に面白いですよね。海は海だけど、貨物船が行き来したり、対岸の横須賀が見えたり、天気が良ければ富士山も見える。海だけではない、風景として切り取れるような絵になるロケーション。東京の近郊にこんなところがあるんだ、と驚くと思いますよ」
これまで手がけた数々の店舗やアトリエ、オフィスなどの空間ディレクションだけでなく、NIGO®のセンスやクリエイティビティは自宅においても遺憾無く発揮されている。彼にとって家とはどのような空間なのだろうか。 「初めて家を建てた時、『もう二度と家は建てない』って思ったんです。とにかく大変で。でも、たまたま素晴らしい土地に巡り合えることがあると、建ててしまう。例えば京都の家だったら、京都のお茶屋さんの文化や、そこにあるシステムやルールが好きになって、自分でつくったぐい呑みを持ってお茶屋さんに行って、終わったらさっと帰れる距離で土地を探し始めました。5年くらい探したけど、なかなか見つからない。でも、知り合いづてにいい土地を紹介してもらうことができて、建てました。だから、いつも『もう二度と家は建てない』と思っているんですけど、いい土地に巡り合えたその瞬間忘れちゃうんですよね(笑)」 NIGO®にとって、家を建てる行為は、気に入った土地をより深く味わう手段なのかもしれない。 「いかに効率良く過ごすかを考えるタイプで、気に入った場所に家があると、荷物を持たずに体一つでいけるという効率の良さが気に入っています。ただ、その代わり管理は大変ですね。用事がない時もわざわざ時間をつくって行かなければいけないとか。でも、家に着いて窓を開けて掃除を始めると、建物が生きているって感覚になります。月に1回でも行ってあげると、喜んでるような気がする。建築は人が入ってから完成するというか、何かが始まるんだなって、いつもそう思っています。そう考えると『NOT A HOTEL』は使いたい時に使えて、でも普通のホテルと違い所有できて、愛着も湧く。もしかしたら、建物にとっては一番いいことではないかという気がしています」
数々の家や空間をつくってきた経験、その一つひとつが「NOT A HOTEL TOKYO」のクオリティに直結している。 「家をつくるって、失敗の繰り返しで。何度も失敗を重ねてきました。『ここはこうすればよかった』と思うところが本当にたくさんある。その経験は『NOT A HOTEL TOKYO』でかなり活かされていますね。茶室もそう。お茶に触れたことがない人も使う可能性を考慮して、4畳半という一番ニュートラルなものにしています。でも、普通すぎてもつまらないから、床の間の位置を工夫してみたり、海が見える窓をつけたり。演出を大切にして、僕自身も早くここでお茶を点ててみたいと思うような茶室に仕上がりました。CGにおいても靴下をしっかり履いたり、釜の向きを最後まで調整したりと、細部までこだわっています。最近、家やオフィスをつくる時には、畳みたいな要素を絶対入れたいなと考えています。それは海外の人に対してもそうなんですが、日本の文化を体験してほしい、見てほしいという意味が強い。HUMAN MADEのオフィスで言えば、茶室があるスペースにプルーヴェの棚を組み合わせたりしているんですけど、実はミッドセンチュリーのプロダクトととても相性がいい。特にシャルロット・ペリアンとかは日本の影響を受けているので、日本のものと相性がいいですよね。そのことに気づくのが遅かったなと悔やんでいます。この10年くらいで日本のものを見直して、改めてすごいなと実感しています」 NIGO®の空間ディレクションにおける一つの集大成でもある「NOT A HOTEL TOKYO」は、彼が手がける4つ目の“自宅”だ。 「ありがたいことに、東京にゲストが来ると『NIGO®の家に行きたい』って言ってもらうことがよくあります。これまで本当にたくさんの人が自分の空間を見にきてくれたのですが、その中でも『NOT A HOTEL TOKYO』は非常に魅力的な立地に、最高の完成度とディテールを追求した究極の空間です。僕の世界がここにあります」
NIGO®
1993年に創業した自身のブランドが世界中で絶大な人気を博し、現在にまで至る“ストリートファッション”シーンの礎を築く。2010年にはブランドHUMAN MADEを立ち上げ、企業へのクリエイティブ・ディレクターとしての参画のほか、飲食事業や音楽活動など多岐にわたって活躍している。20〜21年にはLOUIS VUITTONより2度にわたってコレクションを発表。21年9月、パリを拠点とするファッションブランドKENZOのアーティスティックディレクターに就任。
Text: NOT A HOTEL