vol.08

「NOT A HOTELで過ごすことで、帰ってからの人生が変わっていくと思います」

M・Tさん

「空間は、人の内面を整えることができるか」——その問いを、医師として、病院の設計監修者として、長年にわたり追いかけてきたMさん。近年重要視されているウェルビーイングを専門とし、人の内側のバランスを取り戻す支援をおこなう。NOT A HOTELに出会ったとき、驚くほど自分と近しい哲学を感じ取ったという。大切な家族や愛犬と、かけがえのない時間をともに過ごすための場所として、〈TOJI〉を所有するMさんに、話を聞いた。

「整える」という哲学との共鳴

Mさんは医師として活動する傍ら、病気や障害を抱える人々が、自分らしく生きていくための支援に取り組む。空間やテクノロジー、社会的処方箋を通じて、人の内側のバランスを整えることを使命とする、自称「バランサー」だ。心と体、そして社会的にも、すべてが満たされた持続的な幸せを実現するためのサポートに携わってきた。 NOT A HOTELとの出会いは、愛犬とともにゆっくり過ごせる場所を探していたことがきっかけだった。ウェブサイトや物件情報を見ていくうち、単なる宿泊施設や別荘とは異なる思想を感じ取り、実際に〈KITAKARUIZAWA〉を訪れた。その体験は、自身が手がけた病院設計の仕事とも深く響き合うものだった。

「訪れてみると、想像をはるかに超えていました。建築もさることながら、手を入れすぎない自然を通した体験が、身体性に影響を与えることを体感した瞬間でした。決めきらない余白、引き算の設計、経年変化を受け入れる姿勢。自分が病院の設計を通して目指してきた空間による精神性の回復と、構造的に似ていたんです」。

DoingからBeingへ

Mさんがウェルビーイングを語るとき、必ず登場するのが「Doing」と「Being」の対比だ。Doingとは何かを成し遂げようとする能動的な状態、Beingとはただそこにいるだけで満たされる状態を指す。 SNSの評価や他者からの承認を追い続け、常にスマホを離さない現代人の生活は、Doingに支配されて心身のバランスを崩しやすい。余計な物や情報の少ないNOT A HOTELの空間では、到着後の無人チェックインの瞬間から静寂が始まる。他者の視線のない環境が、自然とBeingへの転換を促す。 「干渉されない時間こそが、最大の優しさだと思っています。誰の評価にもさらされない時間や遊びがあってこそ、ようやく自分らしくいられる。そのゆとりが、この場所の心地よさの理由だと思います」。

「30センチ」の日常を解き放つ

眼科医でもあるMさんの視点からも、NOT A HOTELの空間の価値は明確だ。現代人はスマートフォンをほぼ一日中、30センチほどの至近距離で見続けている。ブルーライトを浴び続け、脳は常に覚醒した状態に置かれる。 それとは対照的に、NOT A HOTELでは窓の外に広がる景色を遠くまで眺める時間が自然と生まれる。とりわけMINAKAMIの〈TOJI〉では、横長の窓から切り取られた景色と、水面の反射が天井に揺れる光景が独特の鎮静効果をもたらすという。 「現代人の視界は、1日の大半が30センチ先のスマホに囚われています。しかし、ここに来るとスクリーンを見続けて酷使されてきた目の筋肉が物理的に緩み、脳への情報入力の質が変わる。窓が切り取るみなかみの遠景や、天井に揺れる光の揺らぎは、炎や波のような自然のリズムに近く、見ているだけで深い鎮静状態に入っていける。まるで設計された『視覚的休息』とも言えます。私が病院の設計でも追い求めてきた心の平穏と寛容さに、ここで出会えた気がしました。 私自身、普段は睡眠の質があまり良くないのですが、滞在中はいつも非常によく眠れます。また、夜にしっかり食事をとっても朝には空腹感を感じるなど、細胞が活性化している感覚があります 」。

自分の場所だからできた、大切な人へのおもてなし

単に「宿泊」できる場所ではなく「所有」することを選んだのは、帰れる場所を持ちたかったからだ。旅行先のホテルへ招くのとは違い、自分自身のホームに大切な人を迎え、もてなすことができる。初めてMINAKAMIの〈TOJI〉に両親を連れて訪れたとき、普段は口数の少ない父が食事の途中でふいにスタッフに話しかけた。「長い人生、色々な物を食べてきたけど、今までで一番うまかった。生きてきてよかった」。父がそんな言葉を口にするのは、初めてのことだった。不器用な父なりの息子への感謝は、かけがえのない親孝行の記憶となった。

「ホテルへの旅行として招いていたら、あの行動は生まれなかったと思います。単なる宿泊客としてでなく、主として自分の居場所に招いたからこそ、大切な家族にも伝わった。それが所有することで生まれる、最も大切な価値だと感じました」。

愛犬と過ごす、今という時間

NOT A HOTELを選んだもう一つの理由は、愛犬とともに過ごせる環境を求めていたからだ。Mさんにとって、犬は「言葉を介さず、ただ今この瞬間だけを生きている存在」だ。言葉の通じない相手と静かに時間をともにすることで、自然とBeingの状態へ引き戻してくれる。ドッグフレンドリーな設計で最も印象的だったのは、「犬専用」の特別なしつらえがないことだという。

「人が心地よければ、犬も心地よい。過度な注意書きもなく、人と犬を分け隔てない環境に、本当のドッグフレンドリーを感じました。プライベートダイニングで愛犬と一緒に食卓を囲めるのも、ここならではの豊かさです」。

静寂のおもてなしを、守り続けてほしい

NOT A HOTELの施設を各地で体感してきたMさんが、変わらずにいてほしいと願うのは「引き算の哲学」だ。豊かさを足し算ではなく、あえて省くことで生まれる余白と静けさ——それこそがNOT A HOTELを「思想のあるプロジェクト」たらしめている。ここで過ごす時間は、滞在中だけでなく、日常に戻ってからの自分にも静かに作用し続けている。 「少ないことの豊かさ、静寂というおもてなし——その哲学を持ち続けてほしい。ここにいる時間だけが特別なのではなく、ここで過ごすことで、帰ってからの人生が変わっていく。NOT A HOTELはそういう場所だと思っています」。

STAFF

TEXT: Yuji Kuramochi

PHOTO: Ichi Nakamura (Nowhere)

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