<フリッツ・ハンセン> エルス・ヴァン・ホーレベーク氏インタビュー
エルス・ヴァン・ホーレベーク氏は2024年末に<フリッツ・ハンセン>の新クリエイティブ・ディレクターに就任。日本を訪れた際に、彼女はNOT A HOTELの新オフィスに立ち寄り、コラボレーションやブランドにまつわるエキサイティングな展望について語ってくれた。
ヴァン・ホーレベーク氏:今日の私に至るまでには、いくつかの状況が重なりました。 6歳の頃から、ずっとインテリアデザイナーになりたいと思っていました。私はベルギーの何もない田舎の出身で、その後ブリュッセルでインテリアデザインを学びました。<ヴィトラ>で働くという目標があり、そこでベルギーの新しい空港のプロジェクトに携わったんです。その後、心の赴くままロンドンに渡り、フレキシブルなワークスペースを手がける会社へ。多くの家具を購入し、インテリアデザイナーや建築家と仕事をして、年におよそ6棟の建物を担当しました。 それからオーストラリアに移ることを決めました。訪れたことはありませんでしたが、人生を大きく変えるのに良い場所だと思えたからです。けれども家族の事情でヨーロッパに戻る必要が生じて、オーストラリアは遠すぎるので離れることを決めました。最終的に<&Tradition>のCEOと話すことになり、私をコペンハーゲンへ移してくれました。そして<フリッツ・ハンセン>での機会を得ました。
ヴァン・ホーレベーク氏:<フリッツ・ハンセン>は単なる家具ブランドではなく、デザイン業界におけるデンマークのロイヤルファミリーのような存在です。ひとつのインスティテューションです。そこで仕事ができるのは本当に特別なことだと感じます。 デザインを学ぶ人は誰しも<フリッツ・ハンセン>に出会います。このブランドに触れずして、デンマークのデザイン史は語れません。1872年から存在し、偉大なデンマーク人デザイナーは皆、この門をくぐってきました。アルネ・ヤコブセンのような人は、<フリッツ・ハンセン>と結婚しているようなものです。(笑) それだけの名声と知名度があります。デンマークでは、どこに住んでいようと誰もが<フリッツ・ハンセン>について意見を持っているんです。家具業界でここまでの奥行きを持つブランドはそれほど多くありません。アーカイブも驚くべきものです。
濱渦伸次(NOT A HOTEL CEO):創業した会社をZOZOに売却した後、2回目の起業で何をするか考えたんです。私は本当に家具が好きなので、デザインで新しい領域において何ができるかを考えていました。 新しい土地でNOT A HOTELをつくるとき、私はいつも家具のような小さなディテールから始め、そこからアイデアを広げていきます。相澤陽介さんと「NOT A HOTEL KITAKARUIZAWA BASE」のデザインを検討していたとき、相澤さんにこの空間にふさわしい家具は何かを尋ねたところ、「フリッツ・ハンセンだ」と言われました。 ヴァン・ホーレベーク氏:それは本当に素晴らしいですね。空間は内側から外側へと設計されるべきだと私は考えています。プロダクトについて考えるとき、私はインテリアデザインの視点からアプローチします。最終的にはすべてのオブジェクトや家具が互いに語り合い、呼応する必要があるからです。これはアルネ・ヤコブセンから学んだ視点でもあります。彼はトータルな環境を俯瞰して、各要素が互いに響き合うようにデザインしました。
ヴァン・ホーレベーク氏:初めからデンマークの人々は機能性と美学を常に両立させてきました。そしてデザインに豊かな手触りを取り入れようとしました。常に人間と、そして家具と人間が生み出す相互作用を中心に据えてきたんです。当時手に入る素材が木だったので木を用いましたが、多くのデザインがタイムレスなのは、ディテールが適度で、過不足がなく、余計なものがなく、必要な要素だけでできているからです。そしてそれを木で成立させるには驚くべきクラフツマンシップが求められ、当然ながら高い品質を生みます。ですから今日でも、人々にこれらのピースが多くの人に響くのは、このブランドが今も続き、クラフツマンシップの伝統があるからです。
濱渦:日本の建築とデンマークの家具はとても相性が良いのだと思います。おそらく歴史的に大きな影響を与え合ってきたからです。日本のモダニズムを代表する建築家・前川國男は多くのスカンジナビアの要素を取り入れ、日本の建築を前進させました。ただ、影響はデンマークの家具だけに限りません。フランスのデザイナーであるジャン・プルーヴェやシャルロット・ペリアンも日本的な要素を取り入れました。つまりミッドセンチュリーには、日本、スカンジナビア、フランスの間にお互いへのリスペクトがあったと思うんです。 ヴァン・ホーレベーク氏:共通している価値観がありますね。――適度なディテールを備えたミニマリズムと、クラフトへのまなざしです。
ヴァン・ホーレベーク氏:人は時に、過去に縛られると感じてブランドのヘリテージについて語るのを恐れます。けれども、未来へ進むには過去を理解しなければなりません。あるいは、前進するために正しいやり方で(既存の)ルールを破るには、そのルールを完全に理解する必要がある、と言うべきかもしれません。 <フリッツ・ハンセン>には驚くべきレガシーがあります。伝統的な側面は大きな連続性をもたらし、ブランドの強固な土台として機能します。一方で、その伝統を生かし続けるにはイノベーションを追求しなければなりません。そしてそのとても繊細なバランスを取り、未来に向けてどう前進していくか、それを見極めるのが私の大きな役割です。 就任からの約半年間、私はアーカイブ、ブランドの歩みとレガシー、市場やカスタマーを理解することに努めてきました。今は前進する方法――どこでルールを曲げ、どこで破るか――を定められる段階にいます。 レガシーには感情も強く結びついています。ですからクラシックに向き合うときには、それを念頭に置かなければなりません。別の見せ方で押し出していく必要があります。難しい仕事ですが、だからこそコラボレーションにも取り組んでいます。アイコニックなピースに新たな光で再び照らすことができるからです。
ヴァン・ホーレベーク氏:日本は、デンマークに次ぐ<フリッツ・ハンセン>の第2のマーケットです。これは多くを物語っていると思いますし、一般にアジアではコミュニケーションやブランディングがより進んでいます。日本の体験価値の水準は本当に群を抜いています。 日本にいるのが大好きです。とてもインスピレーションを受けます。ファッションの面でも心が惹かれます。私たちの文化との違いにワクワクします。境界を押し広げていますし、人々はとてもオープンマインドです。誰もが存在できる余白がたくさんある、という感じでしょうか。店舗デザインもとても興味深いです。私は空間を巡るのが好きなんです。また、感謝の気持ちが行き渡っているとも感じます。それがブランドにとてもいい文脈を与えてくれます。もっと頻繁に来たいですね! 濱渦:新婚旅行でデンマークとフィンランドに行きましたよ。デザインとサウナを巡る旅でした。 ヴァン・ホーレベーク:完璧なハネムーンですね! 濱渦:デンマークでは標識やサインがすべて美しかった。街全体が一体となるようにデザインされています。日本ではサインのスタイルがまちまちなので。 ヴァン・ホーレベーク氏:私はよく、コペンハーゲンはユートピアだと表現します。すべてが美しい。人も美しい。食も美しい。すべてが美しく設えられています。ですから、時には外に出て自分がどれほど恵まれているかを自覚するのは大切です。そのぶん、日々の暮らしは本当に心地よく、物事はスムーズで、美しく、心が落ち着きます。
ヴァン・ホーレベーク氏:私たちの多くのデザインは大規模プロジェクトのためのものです。アリンコチェアは<ノボ ノルディスク>の社員食堂のために作られたので、ホスピタリティの領域に関わっていました。 エッグチェアはSASロイヤルホテルのために作られました。つまり、これらのデザインはブランドのDNAの一部です。プロダクトが何であれ、常に目的を持って作られてきました。フリッツ・ハンセンはメーカーとして始まりましたから、デザイナーが自分のデザインを形にしたいときに訪れる場所だったのです。その後デザインブランドへと移行し、プロジェクトのためのデザインを受け入れながら、新しいデザインも取り入れていきました。今も私たちはその二面性の中に存在しています。 また私たちは「体験」――家具の周辺にあるあらゆること――についてよく話します。どこで食べるのか。どこに滞在するのか。どこで買い物をするのか。どんなワインを飲むのか。ブランドを取り巻くこの生活すべてがとても重要で、起源という面でも、デザインを体験するという面でも、ホスピタリティとは疑いなく手を取り合っています。また、ホスピタリティで生き残るには品質も必要です。 濱渦:フリッツ・ハンセンの家具はデザインだけでなく、機能性が卓越していますね。 ヴァン・ホーレベーク氏:見た目が良くても快適でなければ、セブンチェアのように70年以上も生き残ることはありません。 濱渦:すでに完璧なものをさらに高めなければならない仕事は、きっと大変だと思います。 ヴァン・ホーレベーク氏:はい、重い責任です!だからこそコラボレーションが助けになるのです。完璧なので触れたくはないけれど、人々には違った光の下でプロダクトを見てもらいたいのです。 濱渦:<フリッツ・ハンセン>で家全体を手がけることは考えていますか。 ヴァン・ホーレベーク氏:<フリッツ・ハンセン>のデザインと共に暮らすとは何を意味するのか、その全体験を得られる場所をつくることができたら本当に素晴らしいと思います。ただし、ショールームのように感じられてはいけません。 濱渦:歴史的に見ると、多くの家具の名作は特定の建物のためにデザインされました。家全体をデザインし、その家具を設計するとなれば、とても興味深いストーリーになります。 ヴァン・ホーレベーク氏:はい、それは夢ですね。というのも、ブランドがすべてに行き渡るからです。全てのディテールにおいて私たちの基準にかなう素材を選べます。
濱渦:セブンチェアとグランプリチェアです。ドロップも。グランプリチェアは、私が<フリッツ・ハンセン>を本当に好きになったきっかけの椅子です。 ヴァン・ホーレベーク氏:ヤコブセンが成形合板での実験を始めたきっかけでもあります。アリンコチェアが私のお気に入りのひとつです。最初の作品だったからです。座面と背もたれが一体になったのはこのチェアが初めてでした。それ以前は、合板は完全に平らでなければなりませんでした。この時、デザイナーとして彼はブランドをコンフォートゾーンの外へ押し出しました。その事実がとても重要だと思っています。 建築家がNOT A HOTELをデザインする時も、同様にNOT A HOTELというブランドをコンフォートゾーンの外へ連れ出し、現状を問い直すのだと思います。今日では物事がとても速く進むことが好まれるので、少し難しいこともありますが。でも、よく言われるように、良いものには時間がかかるものです。
ヴァン・ホーレベーク氏:今はビジュアル・アイデンティティの再考にとても集中しています。ブランドの起源はデンマークにありますが、私たちは今やグローバルな存在です。今日ではイメージが最も雄弁に語りますから、今後の写真表現やストーリーテリングの検討に集中しています。今日お話ししたように、語るべきストーリーがたくさんあります。まず第一に、新しいプロダクトが存在できるフレームワークをつくることです。より未来志向である必要がありますし、ブランドの価値を感じられ、もう少し触感が伝わるものでなければなりません。私が最初に注力しているのはそこです。 二つ目はコレクションですね。この仕事でいちばん好きな部分です。とてもアナログなプロダクトであるセブンチェアを、デザインに手を加えることなくデジタルの世界へどう持ち込むか。デザイナーたちと、デジタル時代へ翻訳することに取り組んでいます。テクノロジーを避けて通ることはできませんから、アップデートが必要です。それから、インテリア全体を手がけるとなると、コレクションには明らかな空白があります。だからこそ、新進気鋭から実績のある人物も含めて、新たなデザイナーを探し続けています。
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PHOTO
NOT A HOTEL
Yuka Ito(Newcolor inc.)