Vol.01
自然への介入を 最小限にする 一筆書きのような建築
BIG・小池良平氏インタビュー
BIG(ビャルケ・インゲルス・グループ)が手がける日本初の事例となる「NOT A HOTEL SETOUCHI」。その実現の裏には、鍵となる日本人建築家の存在がある。大学卒業後、インターンからBIGに参加し、現在はロンドンオフィスに勤める小池良平氏だ。約1年という短期間に猛スピードで進んだ本プロジェクトの歩み、彼が身近に見てきたビャルケの人物像に迫る。
世界各地のオフィスで約700人のスタッフを抱えるBIG。そこで働く数人の日本人のうちのひとり、小池良平氏は建築を学ぶため渡米し、大学卒業後すぐの2010年からBIGのコペンハーゲンオフィス、2018年からはロンドンオフィスに勤めている。 「僕は高校を卒業してすぐ渡米し、そのまま海外で働いていたので、いつか日本のプロジェクトを担当したいと思っていました。佐木島は今まで担当したプロジェクトの敷地と全く違って、日本の原風景のよう。敷地を見に行ったときは、岩肌も、豊かな植生も、砂浜も、途中に仏像があることも新鮮で、すごく興奮しました」という小池氏。 念願だった日本でのプロジェクト。そのきっかけにも小池氏の熱意があった。 「メディアで見て気になっていたNOT A HOTELのことをビャルケと話し、2022年夏に問い合わせフォームから連絡をしたら、すぐに返信が来たんです。CEOの濱渦さんは、BIGなのに日本語で書かれているし、当初いたずらだろうと思ったみたいです(笑)」 2020年に発表された静岡県裾野市で計画されているトヨタのウーブンシティは、ニューヨークオフィスが担当しているプロジェクト。「NOT A HOTEL SETOUCHI」も決定当時は、日本への知見があるニューヨークの案件になる可能性が高かったという。しかしビャルケがきっかけを作った小池氏を尊重し、ロンドンで彼が担当することになった。 「やる気もあったし、本当にうれしくて。青春時代に好きな音楽と気持ちが合っているときに、鼓膜は破れてもいいからボリューム上げて、 爆音で聞こうとするみたいな感じで、もう死ぬ気でやろうって思いました」 まずはそんな彼のこれまでの経歴や、BIGで働くことになった経緯を紹介したい。
CONTENTS
建築デザインに答えをくれた『YES IS MORE』
「イリノイ工科大学からアメリカ・ロサンゼルスのSCI-ARC(Southern California Institute of Architecture/南カリフォルニア建築大学、通称サイアーク)に編入しました。ここは既存の建築教育とは違う面白いことをしようというアバンギャルドな人たちが設立した特殊な学校で、学位がもらえるようになったのはごく最近。一般的な建築のセオリーや方法論はあまり教えてくれなくて、パラメトリックやスクリプトでデザインするぐにゃぐにゃした建築課題をひたすらやっていました。教授も学生もすごくアーティスティック。根本的になぜこういうデザインになったかということがあまり議論されていなかったので、建築に対してずっと混乱していたんです」 そうして卒業が近づいた頃、『YES IS MORE』というビャルケが出版した最初の本に出会ったことが、彼の転機となった。 「どういうクライアントで、どういう敷地で、どういう問題があって、それをどう解決するか…即ちどうデザインしていくかが漫画形式で描かれているんですけど、それを読んで初めて、どうしてこういう形になってるかという建築デザインが腑に落ちたんです」 卒業とともにBIGにポートフォリオを送ると、すぐに来てくれという返事。迷うことなくコペンハーゲンへ向かった。インターンからのスタートとはいえ、チームの一員としてどんどん仕事を任される状況だったという。 「僕が入った2010年頃のスタッフは、総勢60人ぐらい。少人数だったのでリーダーであるアーキテクトの下にインターン2、3人というチーム編成で、重要な仕事をいろいろ経験させてもらいました。僕の場合はパースが得意だったので、いろんなプロジェクトのリーダーが無理矢理スケジュールにねじ込んできた(笑)。そしてインターンを経てアーキテクトになった瞬間からプロジェクトを担当し、デンマークのホテルの改修に始まり、レゴハウスもコンペから参加して実施設計までずっとやらせてもらいました」 その後プロジェクトリーダーになり、2016年にプロジェクトオフィスとしてオープンしたロンドンオフィスが2018年に本格的に拡大オープンするタイミングでロンドンへ。現在はさらにアソシエイトという立場になったが、基本的な役割や仕事内容は変わらないと小池氏は言う。
インフォメーションドリブンな“合気道建築”
BIGと聞いて、どんな建築を思い浮かべるだろうか? 地元デンマークのゴミ焼却場にスキー場を組み合わせたコペンヒルや、レゴブロックを重ねたようなレゴハウス、ニューヨークやアムステルダムで目を引く巨大な集合住宅。世界各地に点在する過去の作品を見ると、これまでの当たり前を覆す、ユニークで奇抜な建築というイメージを抱くかもしれない。しかしこの「NOT A HOTEL SETOUCHI」のプランを見ると、建築がその存在を主張するのではなく、周囲の景観と馴染んでいて島へのリスペクトが感じられる。BIGらしい建築とは、一体どういったものなのだろうか? 小池氏は自身が運営するWEBサイト「ビャルケインゲルス語録」で、「強烈な建築スタイルをもつ建築家は、空手家のようなもの。自分の型を極限まで磨き、どんな相手(敷地、設計条件)にもその必殺技で対応する。BIGが目指すのは合気道のような建築。型をもたず相手の力、技を何倍にもして返すような流儀。敷地のユニークさ、設計条件の難しさなどを利用する建築」と解説している。 「僕は勝手に“合気道建築”と呼んでいるんですが、インフォメーションドリブンデザインといって、綿密なリサーチに基づいて自然と導き出されるデザインがあります。ビャルケやBIGの誰かの好みでデザインするのではなく、敷地の調査をしたり、その土地がもつ歴史を読み解いたり、どういう方がクライアントなのか、ホテルなのか、住居なのか、ミュージアムなのか。そうした要素から導き出される問い、いわば課題設定を考えます。問いをしっかり作れていれば、それを解くためにデザインをするだけ。スタイルがある建築家は、それがドバイでもフランスでも、ひと目でわかるその人らしい型があるけれど、僕らBIGはいろんな要素から最適解をデザインする感じです」
敷地から生まれた問いと、土地へのギフト
そして今回、瀬戸内海に浮かぶ佐木島の敷地や条件から導き出された問いと、その答えとは? 「佐木島はすごく美しい島で、自然も豊かな場所なんですが、敷地は以前に開発が途中で止まってしまったために、土が剥き出しになっている部分がありました。そこでデザインをする前に、それをまず緑に覆われた状態に戻すことに。僕らはいつも“土地へのギフト”といって、プロジェクトが土地や地域にどう寄与することができるかを大切にしているんです。そして治癒した自然をまた破壊するような大きな建築を建てるのではなく、既存のインフラや敷地の等高線になるべく建築が介入しないようにする。こうした極限までミニマムなものにしようという考えから、インフラと一体になった一筆書きのようなコンセプトが導き出されました」 土地への介入を最低限に抑えたリボンのような建築案は、ビャルケも気に入り、一発OK。そこから細かな調整はあったが、基本のアイデアは全く変わっていない。 「瀬戸内の美しい景観を建築に取り入れるため、横方向に長く借景を取り入れる日本の神社や平屋のような伝統建築を出発点に、建物にカーブをつけることで、ヨーロッパのコートヤードのようなプライベートな空間も併せもつデザインに。ビャルケのアイデアで4つの建物には360°、270°、180°、90°と90°ずつ変化をつけています。それぞれの建物にインフォグラフィック的なキャラクターが加わりつつ、元々の敷地にぴったりはまる形になり、コンセプトの強度が増しました」
誰からも愛される人たらし、ビャルケ・インゲルス
ところでビャルケ・インゲルスとは、一体どんな人物なのだろうか? まだ組織が小さかった頃からこれまで13年間共に働き、身近に接してきた小池氏から見たその人柄や、建築家としてのビャルケについて聞いた。 「まず、彼は本当にいい人なんですよ。清掃の方からインターン、パートナーまで、誰とでも分け隔てなくフラットに接するし、みんなに愛されている人たらし。僕にとっては子供の頃に憧れていた近所の年上のお兄ちゃん、その究極系みたいな感じかもしれません。なんでも真似したい、少しでも近づきたいと思わされるような」 現在のクライアントの多くも、パーティーやカンファレンスでビャルケに魅了された人が少なくないという。建築家としても知識豊富で、検索しても出てこないような参考資料が送られてきたり、いつもあちこちを旅しているため実体験の経験値が誰よりも高い。さらに物事への理解度の速さ、深さもものすごく、プレゼンテーションスキルも砂漠で砂を売れるほどだと小池氏は言う。 「彼に出会ったらみんな心を掴まれてしまうんです。すごく尊敬されていますが、怖いとかそういうのは全くありません。めちゃくちゃ忙しいから気を遣うというのはありますけど」 建築家としても、ひとりの人間としても、ビャルケをものすごく尊敬しているということが、その熱意のこもった話しぶりからひしひしと伝わってくる。先に紹介した小池氏が運営する「ビャルケインゲルス語録」も、ビャルケに関する日本語での記述が少ないことため、その人柄やエピソード、建築哲学を日本でも紹介したいという熱意から立ち上げたものだ。
日本の素材を使った建築と、ジャパンディスタイルのインテリア
「NOT A HOTEL SETOUCHI」の建築を構成する素材は、すべて日本のもの。フロアには昔から使われている玄昌石、 壁は土壁の一種であるラムドアース、天井にも日本の木材を選んだ。 「畳をモチーフに配置した玄昌石のスレートタイル、内外をシームレスに繋ぐ障子のようなスライディングドア、瓦屋根のようなソーラーパネルなど、日本のエレメントを現在の最新のイノベーションでアップデートしました」 それに対して家具は、ポール・ケアホルムのチェアやアルネ・ヤコブセンのランプなど、デンマークの名作デザインを取り入れ、日本とスカンジナビアが融合したジャパンディスタイル。なかでも「家具の建築家」を自認していたポール・ケアホルムの作品は、素材の組み合わせが秀逸で、機能がそのままデザインに現れているとう点で、ビャルケの一番のお気に入りデザイナーだという。
ディテールに詰まった、さまざまな日本初
土やガラス、金属。基本的に使う素材は、経年変化も含めて何年たっても美しいものが選ばれている。各建物には、ビャルケのアイデアでラムドアース(版築構法)の壁を採用。内部に構造を入れて強度を確保しつつも、基礎を掘り出したときに出た敷地の土を重ね、その土地の記憶を留めた建築になっている。また、建物のカーブに沿ったガラスの掃き出し窓も、曲面ガラスが開閉するという極めて特殊なものだ。ソーラーパネルもこれまで日本では使われたことのないデザイン性の高いもので、輸入業者や代理店との調整から行っている。「NOT A HOTEL SETOUCHI」は、BIGの完成プロジェクトとして日本初となる予定だが、それ以外にも日本初の素材や技術がたくさん詰まっているのだ。 「施工会社や構造計算の方々をはじめ、コラボレーターの方々がみんなすごく前のめりでやってくださる。プロジェクト実現のために、それぞれのカテゴリーでみんな必死に取り組んでいただけて、ただただ感謝しています。ここには本当に今BIGができるベストが詰まっていて、やりたかったことは全部盛り込めている。ここがもう少しこうだったらなぁと思うようなところ、妥協したところは一切ないですね」 その背景には小池氏がプロジェクトについて丁寧に説明をした冊子の存在がある。BIGの紹介から、建物のコンセプト、この敷地でこのような形になった理由、素材の選定理由などが、多くの図解やパース画像とともに詳しく書かれている。近隣住民をはじめ、建築デザインの知識がなくても、工事に関わる人全員が目的意識を共有し、自分の役割を理解して作業に臨むことができるように。 「建築家がパパパっと描いたものをただ具現化するのではなく、いろんな業者さんがきちんとコンセプトを理解した上で、だから自分はこの作業をするのだと納得してもらいたくて。全員でデザインをシェアして、コンクリートを打つ人が自分の仕事をお母さんにも説明できたらいいなと思っています」
どんどん強くなっていった、”ラスボス”
NOT A HOTELと小池氏は、これまで毎週火曜日の定例ミーティングを約1年間続け、意見交換をしながらプロジェクトをここまで練り上げてきた。 「この前ちょっと数えてみたら、1年間でパワポのスライドが3080枚ぐらいできていました。365日で割ると、1日8枚ぐらい作っている計算(笑)。最初が肝心と思って全力で頑張って、その後は少し楽になっていくかなと思っていたんですけど、それがそうじゃなかった。濱渦さんとNOT A HOTELさんのチームが、ものすごいパワーで反応してくれて。決定権がある方と話していたので、その場でどんどん変わっていくし、次のフェーズになっても、その次も全然変わらなくて、かなりインテンシティの高いラリーをずっとやっていた感じです」と小池氏は振り返る。 「普通は家や社屋、美術館を建てるということって人生においてそう何回もないですよね。でも濱渦さんの場合は、いろんな建築家やクリエイターとあちこちのデザインを進めているので、これはラスボスだなって。戦っていた敵がどんどん強くなるというか。そんじょそこらのことじゃ満足してくれない。もともと建築好きな濱渦さんは、そこらの建築家と比べられないぐらいの知識もある。いろんなホテルを回ってたからホスピタリティに対する経験値も高いし、さらに経営者としての視点もあるんですよね。とんでもない人っていうか、いい意味で今までにないクライアントでした。フィードバックも本当に的確で、アドバイスをいただいて修正したらその通りっていうことが多くて。僕らが本当にいいと思ったアイデアをNOT A HOTELさんに反対されたことはないけれど、自分たちに迷いがあった部分には、厳しくダメ出ししていただくこともありました。すごく信頼していますし、そういう方とデザインミーティングができたのは、ただ単純に楽しかったです。濱渦さんは今までにない形で、日本の建築史に名を残す人じゃないかなと思っています」 ビャルケも含め、小池氏をはじめとしたチームメンバーも全員、建築的にも文化的にも日本が大好きだという。瀬戸内海に浮かぶ自然豊かな島で、彼らのアイデアが形になる日はもうすぐ。そして小池氏の存在が日本とBIGを繋ぐ架け橋となり、これからもBIG建築が日本に増えそうな気がしてくる。
STAFF
EDIT・TEXT
PHOTO
Sanae Sato
Maya Matsuura